プロフィール

中村 珍晴 Nakamura Takaharu
ナラティブデザイナー / 心理学者(博士)
「言葉にならない想い」を未来を創る「物語」へ。
はじめまして。ナラティブ・デザイナー/ 心理学者(博士)の中村珍晴(たかはる)です。
私の仕事は、経営者、リーダー、そして企業が抱える「言葉になっていない想い」や「漠然とした未来」をナラティブ(物語)の構造を用いて言語化し、世の中に届けることです。
良い商品、素晴らしい技術、熱い想い。それらを持っているのに、なぜか伝わらない。人が動かない。その原因の多くは「そこに共感できる物語(ナラティブ)がないこと」にあります。
私は19歳のときにアメフトの事故で車椅子生活となり、アスリートとしてのアイデンティティと描いた未来のすべてを失いました。しかし、そこから心理学と出会い、自分自身の物語を「絶望」から「希望」へと書き換えることで、人生を再び動かし始めました。
「過去の事実は変えられない。けれど、未来の物語は、いつからでも新しくデザインできる」
これは個人の人生だけでなく、企業の経営や組織づくりにおいても同じ真理です。なぜ私が、言葉と心の専門家として、皆様の物語を共に紡ぐ活動をしているのか。その原点となるストーリーを少しだけお話しさせてください。
19歳、アイデンティティの喪失と絶望

私の原点は、2007年9月1日。
当時19歳だったときのアメフトの事故にあります。それまで「アスリートの中村珍晴」として積み上げてきたアイデンティティは、車椅子生活の始まりと共に一瞬で崩れ去りました。
試合中、相手選手との接触により首を骨折し、私はその瞬間、首から下のすべての運動機能と感覚を失いました。昨日まで当たり前に動いていた身体が、ピクリとも動かない。食事を自分の手で口に運ぶこともTシャツ一枚を着替えることすらできない。排泄の処理さえも、すべて看護師さんに委ねなければならない現実。入浴介助を受けてお湯に浸かっても、その「温かさ」を感じることすらできない身体になっていました。
ベッドの上で唯一許された自由は、ただ無機質な白い天井を見つめ続けることだけでした。 窓の外には、当たり前のように歩き、笑い合う人々の日常がある。
「なぜ自分だけがこんな目に遭わなければならないのか。」
失われた明るい将来と自由な他人を比較しては、やり場のない怒りと問いを天井に投げかける毎日でした。描いていた未来がすべて消失し、自分の中核を失ったような感覚。深い絶望の中にいました。
「つながり」が教えてくれたこと。
ただ、いつまでも絶望の淵にいたわけではありません。生きる希望を失いかけていた私を救い出してくれたのは、4歳年上の兄の一言でした。
当時、兄は県外で就職しており、顔を合わせる機会はほとんどありませんでした。しかし事故後、兄は休日になるたびに新幹線で病院へ通い、私の身の回りの世話をしてくれるようになりました。

事故から4ヶ月が経ったある日のことです。いつものように病室に来てくれた兄が、突然こう切り出しました。
「俺、仕事を辞めるわ」
耳を疑いました。何を言っているんだ、この人は。
言葉を失う私に、兄は続けました。
「仕事を辞めて、理学療法士になろうと思う。ハル(※私の呼び名)の苦しみや辛さを全て理解することは無理やけど、少しでもいいから力になりたいんよね。」
衝撃でした。幼い頃から迷惑ばかりかけていた自分のことをこれほどまでに想ってくれていたのか。その瞬間、私はある「大きな勘違い」をしていたことに気づきました。
私は事故によって、身体の自由も、明るい将来も、すべてを失ったと思っていました。けれど、違ったのです。「変わらないもの」があったのです。それは兄をはじめとする家族との絆であり、帰りを待っていてくれるチームメイトとの繋がりでした。大切な人たちとの関係性は、何一つ失われていなかった。支えてくれる人が、私の周りには数え切れないほどいたのです。
「このままではダメだ」 心の底からそう思いました。
確かに手足は動かない。けれど、だからこそ、今できることに命を懸けよう。どんな姿でもいい。「もう一度大学へ復学し、アメリカンフットボールのフィールドへ戻るんだ」
兄の一言が、止まっていた私の時間を再び動かしました。そこから私は、毎日6時間以上のリハビリに没頭しました。
ちなみに兄は宣言通り仕事を辞め、専門学校を経て現在は理学療法士として活躍しています。心から尊敬する兄です。
そして、約2年半の壮絶なリハビリ生活を経て、2010年4月に私は車椅子に乗って、約束の場所である大学への復学を果たしました。
亡き未来を取り戻すためのヘッドコーチ就任。
リハビリを経て大学に復学し、2年間アシスタントコーチを経験した後、母校のゼネラルマネージャーから突然「ヘッドコーチをやってくれないか」と打診を受けました。一瞬の迷いはありましたが、私はその場で首を縦に振りました。理由はただ一つ。「アメフトの素晴らしさを、もう一度証明したかったから」です。
私の事故は、アメフトという競技のせいではありません。「頭を下げて突っ込む」というやってはいけない姿勢でコンタクトした私の技術的ミスが原因でした。しかし、この事故によって大好きなアメフトに「危険なスポーツ」というレッテルが貼られ、関わる人々に迷惑をかけてしまった申し訳なさがずっと心の棘となっていました。
「どうせやるなら、とことんやろう」 自分のミスで招いた過去と向き合い、正しく安全な技術を伝えることで、この競技の本当の価値を証明する。それが私の使命だと感じたのです。

しかし、いざ指導を始めて直面したのは、「身体が動かない」という決定的な事実でした。 私は選手にタックルの見本を見せることもできなければ、一緒に走って汗を流すこともできません。そんな私が、どうやって屈強な選手たちを率い、勝利へ導くのか。
私に残された手段はたった一つ。「言葉」でした。身体で示せない分、言葉ですべてを伝え、言葉で心を掴み、チームを一つにするしかなかったのです。
私の「勝負の場所」は、練習終わりの全体ミーティング(ハドル)でした。ヘルメットを脱ぎ、疲労困憊で座り込む選手たち。彼らの集中力が切れかかるその一瞬に、いかに端的に、かつ熱量を持って「今、チームに必要なこと」を腹落ちさせるか。長すぎれば伝わらない。熱がなければ響かない。毎日が、言葉の真剣勝負でした。
また試合の時には、恐怖やプレッシャーに立ち向かう選手たちを、言葉一つで鼓舞しなければなりません。「たった一言が、選手の爆発的な行動力を引き出す」 そんな瞬間を何度も目の当たりにしました。
このグラウンドでの経験こそが、現在の私のパブリックスピーキングの原型であり、原体験です。人が動くのは命令されたからではありません。心が震えた時です。そして、心を震わせるのは、巧みな話術ではなく「魂の乗った言葉」だけです。
車椅子のヘッドコーチとして、言葉を通じて人の気持ちを動かし、行動へ繋げ、チームを勝利へ導いた実践の日々。それが、今のナラティブ・デザイナーとしての私を作っています。
「身体」は治っても「心」は置き去りだった。
指導者として選手と向き合う中で、新たな課題が見えてきました。スポーツの現場では、身体的なケアは充実していても「心のケア」は驚くほど軽視されていたのです。「怪我をする奴が悪い」という風潮さえあり、傷ついたアスリートが孤独に追いやられていく。かつての自分自身と重ね合わせ「何かできることはないか」と模索する中で出会ったのが、スポーツ心理学でした。
私は大学院へ進み、研究に没頭しました。そこで運命的に出会った概念が「心的外傷後成長(Post-Traumatic Growth: PTG)」です。従来の心理的サポートは「マイナスをゼロに戻す」ことがゴールでした。しかしPTGは違います。「辛い出来事を通して、人は以前よりもタフに、人間的に成長できる(マイナスからプラスへ)」という可能性を示していたのです。当時、スポーツ領域での論文は皆無でしたが、私は迷わずこれを研究テーマに選びました。

博士論文では約300人のアスリートを調査し「何が人の心を成長させるのか?」を研究しました。そこで明らかになった事実は、驚くべきものでした。
人が立ち直るために最も重要なのは、本人の性格の強さではありません。「周囲のサポート」でした。中でも、「アドバイス」や「励まし」以上に「受容(ありのままを受け入れること)」が、最もPTGに影響を与えていたのです。
「頑張れ」と励ますのでもなく、正論を諭すのでもない。ただ、辛い状況にいるその人の隣に座り、見捨てずに受け入れること。研究データが示したこの結論は、かつて絶望の中にいた私に対し、兄や家族、友人がしてくれたことそのものでした。私が立ち直れた理由は、奇跡でもなんでもなく、心理学的な必然だったのです。
PTGを伝える上で、私が大切にしている倫理観があります。それは「成長を強要しない」ということです。「辛い経験をしたから成長できたね、よかったね」と結論づけることは、苦しみを正当化する「イリュージョン(幻想)」に過ぎません。私自身、昔は「事故に遭ってよかった」と無理に言い聞かせていた時期がありましたが、今は違います。障害なんてない方が幸せだったかもしれない。けれど、障害を負ったからこそ出会えた人たちがいて、今の自分がいる。その事実は、決してマイナスではない。そうフラットに捉えられるようになりました。
「弱さ」が、誰かの命を救う「光」になる。
研究者として歩み始め、少しずつ講演の依頼をいただくようになった頃のことです。ある中学校の体育館で、私の体験をお話しさせていただきました。
壇上からふと見ると、一番後ろの席に先生と並んでポツンと一人で座っている女子生徒がいました。「体調が悪いのかな」と気になり、帰りがけに先生に尋ねてみると、その生徒はずっと不登校で、学校に来られていなかったとのこと。「中村さんの講演があるなら聞いてみたい」と久しぶりに勇気を出して学校に足を運んでくれたのだそうです。
後日、その生徒さんから一通の感想文が届きました。そこに書かれていた言葉を見て、私は言葉を失いました。
『私はこれまで、ずっと自殺することを考えていました。でも中村さんの話を聞いて、明日からほんのちょっとだけ、頑張ってみようと思えるようになりました。』
頭を殴られたような衝撃でした。それまで私にとって、障害とは「失ったもの」であり、隠したい「マイナス」そのものでした。できることなら、なかったことにしたい過去でした。 しかし、その隠したかった「辛い経験」をありのまま語ったことが、誰かの心に届き、死を思いとどまらせるほどの力になったのです。

私の「弱さ」が誰かの「強さ」になった。マイナスだと思っていた障害が、かけがえのない「価値」へと変わった瞬間でした。
「語ることは、誰かの力になる」
この強烈な学びこそが、パブリックスピーカーとしての原点です。私が車椅子であることを隠さず、YouTubeチャンネル「suisui-Project」でリアルな生活を発信し続ける理由も、ここにあります。私の姿や言葉が、かつての私のように目の前が真っ暗になってしまった誰かにとって一筋の「希望の光」になるのなら。私はこれからも、自分の物語を語り続けます。
400回以上の講演、そしてYouTube登録者10万人へ。
「語ることは、誰かの力になる」 その確信を胸に、私は走り続けました。あの日の中学校での講演から現在に至るまで、登壇回数はのべ400回を超えました。中学生や高校生といった若い世代から、行政、企業の経営者まで。世代や立場を超えて、私の「人生の物語」を届けてきました。
しかし、リアルな場だけでは届けられない人たちがいます。かつての私のように、病院のベッドの上や、部屋の中で孤独を感じている人たちです。彼らにメッセージを届けるために力を入れたのが、YouTubeやSNSでの発信でした。自身の想いや学びを、車椅子生活のリアルな日常映像と共に発信する。飾らない「等身大の物語」は多くの共感を呼び、YouTubeチャンネルの登録者数は10万人を超えました。
神戸学院大学に着任し、研究者・教育者としての立場を得てからも、この発信の手を止めることはありませんでした。むしろ、アカデミックな知見と、SNSという現代の武器を掛け合わせることで、より多くの人に深く届く伝え方を模索し続けてきました。
「私の物語」から「あなたの物語」へ
そうして発信を続ける中で、私の活動は新たなフェーズへと広がっていきました。それは、「自分自身が語る」ことから、「語りたい誰かを支援する」ことへのシフトです。
「素晴らしい想いがあるのに、言葉にできない」
「良い商品を持っているのに、知られていない」
そんな個人や企業の方々から「どうすれば伝わるのか?」「SNSをどう活用すればいいのか?」という相談を数多くいただくようになったのです。私がYouTubeで培った動画制作のノウハウや、人の心を動かすナラティブの技術は、私個人のためだけのものではありません。企業の広報戦略やマーケティング、ブランディングにおいても、強力な武器になる。そう確信しました。

今の私の最大の強みは「喪失に向き合ってきた経験」そのものです。
誰よりも深く絶望し、誰よりも執着して自分の心と対話し、誰よりも言葉を尽くして自分を再定義してきました。その泥臭くも濃密なプロセスがあるからこそ、私には、あなたの奥底にある言葉にならない想いを汲み取り、形にする力があります。
現在は、ナラティブ・デザイナーとして、企業や個人の「物語の発信」に伴走しています。 私の役割は、あなたの内側にある物語を引き出し、それを必要としている誰かに届けること。かつて私が、多くの人の言葉に救われ、自分の物語を紡ぎ直したように。今度は私が、あなたのビジネスや人生の物語を、世界に届けるお手伝いをさせていただきます。
■ 主な実績・経歴
- ナラティブデザイン / ビジネス:
- 株式会社ONEflat 採用ブランディング支援
- Vision Leap College プロモーション担当
- 種子島「カモメプロジェクト」広報・クラウドファンディング支援達成
- NHK Eテレ「toi-toi」制作委員(2025年グッドデザイン賞受賞)
- Global Innovation Challenge 生活支援ロボットコンテスト 実行委員
- NPO法人ホスピタルフットボール協会理事
- アカデミック活動:
- 博士(スポーツ心理学)
- 日本スポーツ心理学会公認スポーツメンタルトレーニング指導士
- CICP(国際コーチング連盟認定資格)
- 日本学術振興会 特別研究員(DC2)
- 神戸学院大学 心理学部 客員教員
- 天理大学 非常勤講師
- 米国心理学会(APA)発表
- メディア:
- NHK Eテレ「toi-toi」レギュラー出演
- NHK 総合「かんさい熱視線」レポーターとして出演
- YouTubeチャンネル「suisui-Project」登録者数 10万人
- Instagram 1.6万人 / 1動画で400万回再生
- X 1.2万人
